嘉門タツオKAMON TATSUO嘉門タツオ 公式サイトTOPへ戻る →
← 作品一覧に戻る
COLUMN

はえほの部屋

実の妹・岡田妙子が、兄・嘉門タツオ(当時は嘉門達夫)のことをつづったコラムをアップします。

01第1回
「私の兄」第1回 掲載当時の誌面
掲載当時の誌面(押すと大きく表示)

初めまして!!今月から私のヘンな兄のことを書く事になりました、実の妹、岡田妙子です。よろしくお願いします。

兄は昔からヘンな奴だった。

小学校4年生くらいの頃、同級生のニンゲンという人(これもヘンな奴で、うちの弟が“あんた誰?”と聞いたら“ボク、ニンゲン。”と答え、この名前になりました。)が遊びに来た時、いじけてるのか怒ってるのか自分の部屋から出て来ない。

“ニンゲン来てるでー。”と呼んでも、“おぅ。”と返事だけして顔を見せようとしない。

“しゃあないなぁー。”とニンゲンが兄の部屋へ行ったが、すぐ戻って来て“あかんわ、鳥飼(本名・鳥飼達夫)寝てるから帰るわ。”と、帰ってしまった。私が兄に“ニンゲン帰ってしもたでー。何寝てんのー。”と言いに行くと起きて来て言った。

“なんや、笑わそ思って枕に足乗せて寝ててんでー。布団めくってくれたら良かったのにー。”

人のフォローを期待してギャグをしてる時に、フォローがないと、どん底につき落とされるのだ、ということを、兄はこの時悟ったのであった。

了

02第2回
「私の兄」第2回 掲載当時の誌面
掲載当時の誌面(押すと大きく表示)

兄は昔からヘンな奴だった。木枯し紋次郎がはやった時、うちの兄妹の間では、つまようじを口にくわえるのが流行った。というより私は兄の真似をしていただけだが。

ある日、兄がいつものようにつまようじをくわえていて、それを指でつまんで「見てみィ、」と言うので「何やろな~」とみてみたら、つまようじが半分の長さになっていた。「どうしたん?」「喰うてん。」

変な奴・・・。後で真似して食べてみたけど別においしなかった。木の味しかしなかった。一緒にグリコのプリッツを食べていたとき、横で「はえほ~はえほ~」と言っている。何がはえほやと思って顔をみたら、プリッツを5センチ位縦に喰わえて「たえこー、たえこー」といって遊んでいた。昔からひとり遊びが好きな人やったしなー。

食べ物にまつわる話は多い。ぼんち揚げを食べる時は必ず口の広いお湯のみにぼんち揚げを積んで1個1個食べていた。ぬかずけのきゅうりって普通は一口サイズに切って盛りつけるが母がギャグで半分に切ったきゅうりを出すと兄はそれがえらい気に入って「こっちの方がうまいなー。」と言って食べていた。ファンタオレンジとファンタグレープだったら必ずファンタオレンジをのんだ。私は対抗してファンタグレープ。たまーに「今日はちゃう方飲んでみよー。」とグレープを飲んでみて「うん、こっちもおいしいなー。」と満足そうな顔をする。このファンタ事件があったのは自宅近くのボーリング場「ステーションボール」だった。平均的家族だった鳥飼家は日曜ごとにボーリングを楽しんでいたのだ。

さて、次号の予告。「剣道火炎報知機事件」だよー。おたのしみに。

03第3回
「私の兄」第3回 掲載当時の誌面
掲載当時の誌面(押すと大きく表示)

昔、町の少年たちは、木曜日の夕方(とか)になると、警官に剣道を習いに行くのに剣道着を着てそぞろ歩いたものだった。と、書きつつどこの町でもやっていたかは不明で、私達の茨木市の話である。私の兄、嘉門達夫もその例外では無かった。

前は警察の道場でやっていたが、取り壊しのため、小学校の体育館に稽古場を移し、その後も真面目なことだけがとりえの兄も熱心に通っていた。私も見学に行った事があるが、少年たちが並んで竹刀を“めーん”とかって降りおろしている姿は、今思えば、“かいらしい”ものだったなぁ・・・・ある日、兄が剣道から帰ってきて、そっと教えてくれた㊙話・・・。今だから話せる兄の過失・・・ふふふ。

少年達は練習前におちょけて体育館の壁に取り付けてある火災報知機を囲んで“ほい!”“ほい!”と言いながら報知ボタンの3センチ手前で竹刀を止めるというスリリングな遊びをしていた。ここ一歩のところで気のちいさい兄の心情はこんなんだったに違いない。

「・・・あんなことしたら危ないのになぁ・・けど僕だけせえへんかったらかっこ悪いしなぁ・・・でももし竹刀が当たったら先生に怒られるなぁ・・・山田もやってるから僕もやったろ・・・こんなんゆうたら『山田が死んだらあんたも死ぬの?』って言われるなぁ・・まぁいいか、みんなと同じことしとくのが僕らしくていいな・・」そして皆と同じように“ほい!”“ほい!”と竹刀を突き出した途端リ~~~~~~~~~~~ン!!!!!

火災報知機がなりだした。少年達はビクッとして、竹刀を落とした者もいた。

『誰やー!しょうもないことすんのはー?』

火災報知機の周りにいた少年達は全員横一列に並ばされ、こっぴどく叱られ、誰が犯人か追及された。

少年達は心の中で“誰や、正直に言えや。僕が押しましたて言えや。俺ちゃうど”とつぶやきながらしたを向いていた。しかし、兄だけは違った。“やったんは僕や。当たったのは僕の竹刀や。けど誰もしらんはずや。ばれへんやろな。ばれたらどうしよー。”そうつぶやきながら下を向いていた。“もうよし。分かった。解散。”そう先生が言ったとき兄はどれだけほっとしただろう。

けれども、自分の心の中だけにおさめることができずに妹に打ち明け、少しだけ心の重荷を軽くした。

というわけさ。

04第4回
「私の兄」第4回 掲載当時の誌面
掲載当時の誌面(押すと大きく表示)

先日兄から電話がかかって来た。

「また原稿たのむでー。」「おっしゃ!」と受けた私に兄は、「今度は何書くの?」と、おどおどと尋ねた。「何にしょーかなー。」「もうネタないんちゃうかー。」やて。へへへ・・・あるわーい!

なんぼでもあるもんねーだ!!

そこで今回のお話を始めます。

うちは3人兄弟で、兄と弟と私がいます。小さい頃から、この3人の子供たちが、2階のふた部屋をうまいこと区切って使ってました。兄が中2、私が5年生の頃かな。私が勉強教えてもらおうと思ってカーテン(区切ってある)越しに、「なぁなぁ、おにいー。」と声をかけたけど反応がない。「なあってー。」「ちょっとーおるんやろー。」と数回繰り返すと、「何かゆうたー?」と返事をした。

「1回で返事しーやー。」とぶうたれると、「ヘッドホンしてたから聞こえへんかったわ。」と言った。しばらくして、どうせ聞こえへんやろうと思った私は、やや小さめの声で「あほー。」と言ってみたら、即座に、「今あほって言うたやろ。」と返って来た。たとえヘッドホンしてても、そういうことは、聞き逃さない人なんですよ。今でもそういうとこあるでしょ。ちょっとでも悪く言われたり、嫌われてそうな人からの言葉を聞き逃さない。そうした上で自分なりの情報網を確立して行くとこ!

カーテンやたんすで部屋を区切ってたから、音はよく聞こえる。

ある日私の方が遅くまで起きてたら、兄のベットの方から「ブ~~~~~!」と聞こえた。翌朝「きのう寝ながらおならしてたでー。」という私に「あれは“ねべ”というねん。」と何やわかったようなわからんようなことを言った。翌々日くらいにまた寝てから「ブ~~~~~!」て聞こえたので、「またきのう“ねべ”してたでー。」と注意すると、「きのうは起きててん。あれは“おきべ”や。」と満足して言ってた。変わってはりますね。

05第5回
「私の兄」第5回 掲載当時の誌面
掲載当時の誌面(押すと大きく表示)

兄のコンサートに来て下さった皆様、ありがとうございました。私も2日ともちゃんと券を買って行ってました。けど、妹ってバレたらかっこ悪いので、ほくろをぬりつぶして目をばっちり開けて、わからん様にして行ってました。

気付いた人いるかなー?ふふふ。

でも私はコンサートのことは書かないのです。だってみーんなが書くと思うし。そこで今回も兄のことです。

兄は何を隠そうき帳面です。細かい事が好きな人です。昔ね、兄がマッチ箱を私に渡して、「これ開けてみ。見てみ。」と嬉しそうに言うので、開けてみたら、マッチ棒1本1本に顔が書いてありました。それも、笑った顔とか泣いた顔とか、ぜーんぶ違う顔!私が真似しても、こういう作業は絶対に兄の方が上手だった。だから私はみかんに色んな顔を描いて遊びました。

あとね、兄が今でも好きな、あのビニールのプチプチあるでしょ。あれを飽きもせず、ひとり部屋の隅で・・・プチ、プチ、プチ、・・・とつぶし、その後で私に渡して、「この中に1個だけつぶしてない“プチ”があります。どれでしょう?」と探さす。私は、おおざっぱなので、ちゃんと探してるつもりが、そんなもん絶対に見付けられないのです。「ないー!みんなつぶれてるー。」と叫ぶ私に、兄は含み笑いをして、「これでしたー。」と見事に探し当てるのです。

高校生になっても、何でもきっちりする人でした。蚊取線香って最近のは、立てないで、丸い“せんこー置場”の上に置くようになってるでしょ。あの“せんこー置場”って、新品のは真っ白なのです。で、一晩燃やしたら、ご存じの通り蚊取線香の白い灰が残り、“せんこー置場”はその形の通り黒く焦げます。そして翌日、兄は丁寧にその黒こげの上にぴったり合わせて蚊取線香を置くのです。そういう人って少ないと思うけど、どうかなー。

06第6回
「私の兄」第6回 掲載当時の誌面
掲載当時の誌面(押すと大きく表示)

ついに、ヤンタンに出演してしまいました。「カリフォルニアのような兄妹ですね。」と、わかるようなわからんような誉め言葉を伊藤さんから頂戴しました。ヤンタンで言ったので、聴いていた人もいると思いますが、お正月に、兄の家に家族みんなで行きました。兄と弟はいまいちなじみ合っていないのです。まぁ、弟が9歳の時に兄が通い弟子になって、あまり時間を共有していないという理由もありますが、ヘンな空間があるのですよ。で、お正月に、“会話”では二人は間をつなげないので、兄は弟に服をいーっぱいあげて、“兄貴ぶり”を発揮し、弟は缶ビールを13缶飲んで“おちゃめな弟”になりきったのでした。

さてさて、今回のお話。兄が中2くらいの時かな。私は台所でサラダを作っていました。レタスを洗ってふきんに包んで、水きりのために振り回していました。「これで水切れてるのかなぁ?」と疑問を感じ始めた頃、兄がやって来てやりたそーにするので、「これ振り回して水切って。」と頼むと、兄はおもむろに腕まくりをして、すごい勢いで振り回し始めました。10分ほどして、「どうや、これでおまえが振り回して1滴でも水出したら1000円やるわ。」と言うのでやってみたけど、何でも極端な兄のやること、1滴どころか、そらもう見事に水きりのできたレタスになっていました。

またある日、私が洗ったフライパンを、今思えば正気の沙汰ではないのですが、また兄が水を切ろうと外で兄が振り回し始めたら、3回転目くらいにフライパンの本体、つまり料理をいためるところがゴンゴンと音をたてて飛んで行ってしまいました。柄と本体がバラバラになってしまった可哀想なフライパンは、その後もしばらく鳥飼家で本体だけ愛用され、兄は“水きりぶんぶん振り回したっちゃん”と、近所で評判になったそうな。

07第7回
「私の兄」第7回 掲載当時の誌面
掲載当時の誌面(押すと大きく表示)

漢字のテストって、すごくうっとおしい存在だったと思いませんか?

10センチくらいの横開きのペラペラの、すぐ角とか折れてくる漢字ドリル!あれを一生懸命やるんですよねぇ・・・。

鳥飼家の母親は、子供ら(つまり兄とか私とか)に、なぜか“漢字だけはきちんと書けなあかん!”と言い続け、漢字のテストの前には、私たちはムチ打ってしばかれ、ろうそくを垂らされつつ勉強しました。

ある日、私は漢字テストを明日に控え、兄に漢字を見てもらっていました。私が3年生、兄が6年生くらいの時でしょうか。私は、どうしてもどうしても“台”という字が覚えられませんでした。何回練習しても、いちからやり直すとどうしても思い出せないのです。兄にせかされなだめられても書けない字“台”。

そこで達夫くんは考えました。

「これはな、ムクチやねん。ムクチな人やねん、台いうのんは。」

そう言って、ノートの1ページいっぱいに“台”と書いて、私はついにその字を覚えたのです。その姿を見た母は、「たっちゃん偉かったね、妙子にやっと覚えさして。」とほめたでしょうか?いえいえ、「ノートを無駄にしたらいけません。」と怒られて、とってもフビン・・・。

また、刺を抜く時って痛くていやでしょ。針をマッチで消毒して、手のひらをほじほじされるのは嫌いだ!!そんな時兄は、「あっ、この人山本リンダや。」と言って笑わして、気を紛らせてくれました。

達夫くんのくらあかるい一面でした!

08第8回
「私の兄」第8回 掲載当時の誌面
掲載当時の誌面(押すと大きく表示)

昔(今もあるけど)、少年達の間でアマチュア無線がはやった。兄は5年生くらいだったかな。珍しく興味を引いたようで、夕食の度に、兄は母に、「ハムになりたい」「ハムにならしてー」とねだっていた。私はハムって何かわからなかったので、「ハムってなに?」って聞いたら、兄は実にもっともらしく、「もうすぐ食糧難の時代が来るやろ。その時の為に、自分の体をハムに変えといて、食えるようにしとくねん。」と説明した。純粋な私は、長~いこと、信じてました。

よくそんな事を言って、私はばかされた。

春休み中に徳山の祖父の家に行った時、「マンションの2階の踊り場に、わたがし機がある。」と突然言い出し、「ほんまぁ?」と見に行った私をつけて来て、ククク・・・と笑ってたこともあった。

でもさ、なんていうか、だまし方がせこいと思いません?あんたねー、そんなことしてるから、いま1歩大物になられへんねんよー!!もっとぱーっといかな、ばーっと!!

09第9回
「私の兄」第9回 掲載当時の誌面
掲載当時の誌面(押すと大きく表示)

兄も私も両親のことを「おとうちゃん・おかあちゃん」と呼んでいた。けどある日のこと、なぜか「おとうさん・おかあさん」と呼ぶことになり、誰が言い出したんか知らんが、とにかくそう決まってしまった。私が6才、兄が9才頃かな?

私は、そぼくな疑問を兄にした。

「そしたら“おばあちゃん”は“おばあさん”って呼ぶのー?」

「いや、“おばあちゃん”は親しみを持った言い方やから、そのままでいいねん。」

「じゃあ“おにいちゃん”も“おにいちゃん”でいいのー?」

「いいや、僕は偉いから、“おにいさん”て呼ばなあかんねん。」

それで私は、兄が家をでるまで“おにいさん”とけなげに呼んでた。兄は満足だっただろう。今はというと、鳥飼家では、そういう呼び名は無くなってしまった。両親にも兄にも呼び掛けをせずに、いきなり会話を始めるという、けったいな一家です。

第三者に対しては、「兄が・・・」と言う。噂によると兄は、“兄”と言われるのを嫌がってるらしい。けど、そんなことは知らん。

ねぇ、“ミオ”っていうお菓子あったでしょ。ジューシーみたいなんで、グレープとオレンジの粒が白いラムネみたいなのんに埋もれてるの・・・。兄がある日“ミオ”のカプセル(?)を私に渡して言った。

「これ開けて、においかいでみー。」「なんで?」

「いいから、かいでみー。」

何かヘンやと思いつつ鼻を近付けると、異臭が・・・。

「やったー!!屁つめたったー!」ってなことをしてる“おにいさん”だったのです。

10第10回
「私の兄」第10回 掲載当時の誌面
掲載当時の誌面(押すと大きく表示)

我が鳥飼家は“誕生日”というものを結構大事にします。昔からそれなりのプレゼントをお互いに贈ります。

あと3か月したら私の誕生日、お兄さんは恒例の金○万円を私にいそいそと差し出すでしょう…。いえいえ、たっちゃんはそんなに甘くないのです。催促するまで忘れたふりをして、“誕生日やでー”と言うとしぶしぶ出して“金ないー”とさわぐ。くれるんやったら始めから素直にちょうだいね。今年は。

でもねー、昔からせこかった。レコード屋でもらったカレンダー(郷ひろみとかの)で2回位ごまかされた覚えがあるわ。

あと私の大好きなユーミンのサイン…そりゃ嬉しかったけど、レポート用紙1枚のプレゼントの時もあった。兄が落語家をやってた頃のことです。

兄が高3くらいの時、私は兄への誕生日のプレゼントを買いに行きました。何かウケるものを…そう思い探し、おめんを買いました。かぶると顔がろう人形の様に不気味になるおめん。私はウケる自信がありました。きっと兄はこのお面をかぶって素顔を隠してはしゃぐだろうと。

わくわくしながら兄の部屋へ行き、“はい。誕生日プレゼント。”と手渡し、その場で包みを開けた兄は“おまえはあほかー。”と私をなじりました。“今日俺も同じの買おて来たやんけー!!”

うけを狙う血は争えなかったのです。

11第11回
「私の兄」第11回 掲載当時の誌面
掲載当時の誌面(押すと大きく表示)

私は“ひとで”が嫌いです。

なぜかというと・・・。昔々、私が2年生で兄が5年生くらいの時、私たちは山口のおじいちゃんとこに遊びに行きました。おじいちゃんが私たちふたりを潮干狩りに連れていってくれました。船に乗って、くまでとナップザックを持って行きました。砂を掘るというよりも、岩にくっついた貝をガリガリと削り落とす方法の潮干狩りで、私たちは、あっちの岩でガリガリ、こっちの岩でガリガリと収穫。私がきょろきょろと次の岩を探すと・・・、あったあった。よーし、あれ行くぞ!ガリガリガ・・・とやりかけたら、足元に、それはそれは大きなひとでがーー。

兄を見ると、インケンにフフフ・・・と笑っていました。知ってて知らん顔されたのです。

しばらくして兄妹は、トイレを探しに行きました。足首までを海水に濡らす、岸(?)の汚いトイレでした。行くまでの間には、なんと、生まれて初めて見る“なまこ”の大群!!あまりに気持ち悪いので、「帰りはあっちの岩の上から行こー。」と兄が提案。うんしょうんしょと上って行くと、なんとそこには・・・、ひとでのじゅうたんとでも言いましょうか、今思えば、ひとでの家族、親戚の住む岩で、引き潮になった時に日にさらされたのでしょう。

その日からしばらく、“ひとでこわい?”というのが、鳥飼家の肝試しの合言葉となりました。

12第12回
「私の兄」第12回 掲載当時の誌面
掲載当時の誌面(押すと大きく表示)

久々に兄のライブ(チキンジョージ)を観に行きました。やっと身内が安心して見てられるようになってきたかな・・・。目の奥の暗さもそう気になりませんでした。

兄は小さい頃から今のノリを持っている子で、内弁慶というのではないのだけど、暗いんか明るいんか笑ってるのか怒ってるのかわからん子。けど一旦陰にこもってしまうと、陰の自分の方が陽の自分の方より強い。

そんなたっちゃんは、その昔オルガンを習っていました。すぐ近所にヤマハ音楽教室があったのです。

♪ことりがね おまどでねランラランラランララン・・・♪

たっちゃんはたいそう上手で、優等生でした。一度オルガンに夢中になると、毎日毎日オルガンを弾き、外で遊ばなくなってしまったのです。6才なのに子供らしくないたっちゃん。オルガンはめきめき上達するけど、それと反比例して顔色は青ざめていくのです。「あぁこれではいけないわ!」そう思った母は、たっちゃんにヤマハを辞めさせ、その後、たっちゃんは怪獣に夢中になったのです。

ひたすらオルガンに向かっていたあの情熱は今も多分あるのですが、ギターは上手になりません。

P.S.
たっちゃんへ
私はあんたより3つ下です。隆夫は私より5つ下。覚えてね。

13第13回
「私の兄」第13回 掲載当時の誌面
掲載当時の誌面(押すと大きく表示)

うれしい うれしいなー!!兄関係のことで、とってもとってもうれぴーことがあったのです。兄関係で嬉しいのは本当に久々。

兄が春日丘高校に合格した時以来かしら。

さてさて何が嬉しかったのかというと、私のだーいすきなユーミンと、先日ほんのひと言お話しする機会があったことです。会話を再現しましょう。

私「実は私の兄も、嘉門達夫という名前で芸能界におりますので、何かあったらよろしくお願いします。」

ユーミン「えーほんとー嘉門達夫さんの妹さんなのー?(マネージャーに)彼女、嘉門達夫さんの妹さんなんだってー。」

私「またお世話になると思いますので、どうぞよろしくお願いします。」

ねっねっユーミンは、兄の存在を知っていたのです。私はそーゆー兄を持っているということをいつユーミンに打ちあけようか、ずっと計画を練っていたのです。けど言うたところで、「だあれそれ?」と言われるとショックなので、今なら“いいとも!”に出てたし芸風もだいぶしっかりしてきたので、言うてみたろと思ったというわけです。この話を早速兄にしたところ、必ず「私の兄」に書くよう言われたので、長々と書いた次第です。

そいで、私らの実家は万博の年まで五衛門風呂だったのです。たまーに私らも遊び半分で“炊き付け”を手伝ったりしたものです。

ある日、兄が食い入るように火を見つめていました。「どないしたーん?」と、当時6才の私が尋ねると、当時9才の兄は「こうやって漫画を燃やしてるとな、火の勢いで1ページずつめくれていくやろ。だから読んでんねん、便利やで。」と、単に炊きつけ用の漫画を読んでいた兄。あほなんか大物なんか悩んだ私。

14第14回
「私の兄」第14回 掲載当時の誌面
掲載当時の誌面(押すと大きく表示)

母は、目が良くて、歯が悪くて、酒は弱い。
父は、目が悪くて、歯が良くて、酒は好きだ。
弟は、目が悪くて、歯が良くて、酒は好きだ。
そして、兄は、目も歯も良く、酒は弱い。
私はというと、目も歯も悪く、酒は好き。

なんとなく兄が、一番トクで、私が、一番損だなーと涙こぼれる今日この頃。

今回は、最近兄が、よく話題にしている万博特集!!

兄は、あっちこっちで言っているように、各パビリオンのバッチを集めてて校内3位だった。兄は忘れてると思うけど、それには私も協力したのだ。

万博といえば、私が三年生、兄が六年生の時だった。

兄は、バッチほしさに私をつかまえ、「あの人に、バッチくださいてゆうて来てー」。「何で自分で行かへんのー」という私に「小さい子の方がもらえる。」ということが最低3回はあった。

それとか、インフォメーションデスクというのがあって、小さいおうちの中に制服着たお姉さんがいたのだが、兄が、「妙子、あの人に道聞いて来い。」と聞きたくもない道を聞きに行かせ、その間にボックスに入っている『万国博会場マップ』を100束取ったことを、私は知っている。そういう思い出の品々を、古いスーツケースに入れて、「これは、10年後に開ける。」と言いつつ1年も待たずに開けてたやろ、あんた!!

勢いでもうひとつ、兄と私が、ろう人形館の前でコーラを飲んでる写真があるのだが、兄が、「この中に“館”はいくつあるでしょー。」と言い、私が「ろう人形館ひとーつ!」と叫ぶと、兄は「へへへ、ろう人形館とペプシコーラの缶2つの合計3つでしたー。」などと言っていた。

15第15回
「私の兄」第15回 掲載当時の誌面
掲載当時の誌面(押すと大きく表示)

ついに「笑っていいとも」に出演してしまった、岡田妙子です。

兄は家族が苦手なので、新幹線の中で、わざと隣に座りました。でも兄は私に、週刊新潮とお弁当を買ってくれた、結構いい奴です。

兄の出身校は、春日丘高校というところで、制服がありませんでした。雨が降ると、オーバーオールの裾をひざまで上げて、ゴムゾーリをはいて傘さして、学校に行ってました。そして帰りに、煙草を買うのです。買ってきた煙草を自分の部屋で吸うのです。私たちの部屋は2階だったのですが、親がトントンと階段を上ってくる音がすると、兄はあわてて煙草を消して、灰皿に使っていたビンの中に押し込み、深呼吸をして知らん顔をするというワザをよくやっていました。トントンという音がすると、ビンがカチャカチャと鳴るわけで、その音を何回聞いた事でしょう。

「煙草買う時、高校生ってばれたらどうしよう、とか思えへん?」と聞くと、「堂々としてたら大丈夫や。」と言いながら、親には絶対みつからないようにびくびくしてた、小市民でした。